『楽しく生きる!』第2実験室

自分の直感を頼りに、自分の感じたことを咀嚼するために文章にしています。 突っ走ったりやすんだりしながら、自分のペースを知るために日々過ごしています。 わたし自身、身近な世界のことで手一杯なのですが、 わたしのまわりにいる人たちが穏やかに過ごせることで、 そこからさざ波のように安心感が広がっていきますように。 

パラドックスの中の世界

最近、違う視点をのぞきすぎて迷子になっている。

 

自分の見ている世界は現実なのか、

どこかあやふやで夢見心地で不確かだ。

 

受容されるために

調和と一体感を求めてきたのかもしれない。

 

求めれば逃げていき

望みは望むほど叶わない

 

求めるのをやめて

そのことさえも考えなくなってきた。

すると、なぜか物事がうまくいく。

 

 

調和と一体感は人間以外の動物との方が

感じることができる気がする。

 

存在を拒絶しない。

ただ隣に存在することを受け入れる。

言葉はむしろじゃまなのだ。

 

 

平和を意識すると

暴力性が身近に感じられる。

 

 

子どもたちと「進撃の巨人」を再度見始めた。

1回目はストーリーと刺激を単純に楽しんだ。

 

今回は、放たれた言葉に耳が奪われた。

アニメの4話くらいまでで

印象的だった言葉をいくつか書いておく。

 

 

「(戦闘)技術を持つものが、巨人から離れられる。

それが、人間の本質だからだ。」

 

本当の脅威が何かを冷静に見極め

それに対応する能力を持つこと

それを淡々と実行すること

それが生きることなんだと思う。

本当の脅威が何かを知ることで

それと距離を取ることができるのだ。

 

 

 

「暴力の世界でどう立ち回るのか」

 

わたしは争いは嫌いだし

むしろ平和を望んでいる。

けれど、みんな仲良しは無理であると知っている。

生き物は暴力的で残酷だ。

それは自分自身も然り。

 

 

生きるとは、どれだけダメージを最小限にして

自分を持っているものを最大限に活かすのか

なのかもしれない。

 

 

「考えることを放棄している。

考えることがこわいんだ。」

 

アルベルトの言葉が胸にささる。

考えるということは、

現実を受け入れるということ

なのかもしれない。

考えないことで

現実から目を背けることができるのだ。

 

不安や恐怖と向き合うことで、

自分が何を恐れているのかがわかってくる。

その最悪を知っているからこそ

明るい部分に身を置くことができるのだと思う。

 

 

感覚過敏のわたしにとって

感覚に頼って

直感を頼りに生きるのが

当たり前だった。

 

言葉を理解するのが難しい。

最近そう強く感じる。

 

 

感覚的でぼんやりとした

実態のないものを考え続けてきたけれど

それはなかなか言葉に言い表すことができなくて

人と共有するのが難しい。

 

 

わたしにとっては

日本語さえも外国語なのかもしれない。

 

そして人の気持ちも分かりすぎて分からない。

 

 

しばらくは意識的に明るい世界に身を置こうと思う。

 

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今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪

 

 

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