『楽しく生きる!』第2実験室

自分の直感を頼りに、自分の感じたことを咀嚼するために文章にしています。 突っ走ったりやすんだりしながら、自分のペースを知るために日々過ごしています。 わたし自身、身近な世界のことで手一杯なのですが、 わたしのまわりにいる人たちが穏やかに過ごせることで、 そこからさざ波のように安心感が広がっていきますように。 

大人に振りまわされる子どもたち

「それって本当に子どものためなのか?」

 

子どものためにと言いながら

大人のエゴやプライドのために

子どもを振りまわしていることがあるのでは?

 

今日はそんなことを考えてみようと思います。

 

 

長男が小学3年生の頃

夏休みの課題で提出した

「交通安全についての作文」が

コンクールに出されることになりました。

 

学校に提出した作文は清書前に私もチェックをし、

誤字脱字など気になる部分を最低限直しました。

 

その後、担任の先生のチェックが入り、

昼休みを潰して再度清書していました。

 

さらにそれに、教頭先生、校長先生と

「赤」を入れていきました。

 

それから、またまた清書。

 

学校で書き終わらないからと、

家に持ち帰ってきた作文を見ると

子どもらしさや長男らしさが消えてしまっていて

「誰の作文なんだろう」と悲しくなりました。

 

そこにあるのは

大人のような固い表現と

味気のない作文でした。

 

長男には

コンクールに出す嬉しさは

すでに消え去っていて

何度も書き直す作業に

うんざりしていました。

 

「作文を書く」

その意味はいったい何なんだろうか。

 

その題材について

深く考えること

考えをまとめること

誰かに伝えようと思うこと

 

こなし作業の作文ではなく

書くことが楽しい作文になったらいいな。

 

 

 

長男は「作文が苦手だ」と言います。

 

でも、本来はことばで表現するのがうまいので

苦手意識があるのは少し残念に思います。

 

学校休校中のいま

日記代わりに作文を

書いてもらっています。

 

あまりに漢字を使わないので、

自分で直してもらいました。

 

作文を書くと読み聞かせてくれるのですが

感情をこめて読んでくれるので

それが楽しくて私の趣味になりつつあります 笑

 

今日、ふと作文を見てみたのですが、

直してもらった作文は面白さが

ずいぶんと減ってしまっていました。

 

「本質から外れてしまっているのでは?」

浮かんだそのことばにハッとしました。

 

漢字は別の機会にフォローすればいい。

 

作文は息子の世界観を広げるためのもの。

 

「口を挟むのはやめよう」

そう心に誓いました。

 

 

休校が開けたら

「作文を本のようにして息子にプレゼントしようかな」

そんなことを思いならがら時折りニヤニヤしています 笑

 

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今日もあなたに心の安らぎと幸福感が訪れますように♪

 

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